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就任時から年間棟数が7倍に! 3代目社長が島根で革命を起こせたワケ

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INDEX

父の病をきっかけにUターン、家業を継承

LDP編集部:まずは社歴などを教えてください。

齋藤:昭和43(1968)年に、祖父が大工として創業したのがはじまりです。祖父は私が生まれる前に亡くなっていたので伝聞にはなるのですが、もともとは知り合いの大工仲間と一緒に下請けで受注しながら、リフォームをメインに事業を展開していたとか。新築は記録が残ってないので、当初はリフォーム中心だったのだと思います。
その後、父が昭和56(1981)年に陽吉建設を設立し、正式に2代目へ就任。そこから元請け業や新築もはじめ、事業拡大していきました。

LDP編集部:その後、達也社長の入社は2010年ですよね。

齋藤:はい、私の場合は不動産業からの転職です。

LDP編集部:やはり、ゆくゆくは会社を継いでいくという考えだったのでしょうか?

齋藤:いえ、当時は考えてもいませんでした。元々は学生時代から取り組んでいた、野球を軸にスポーツ関連の仕事をしたいと思っていましたから。

LDP編集部:そうなんですね!そこからどうして住宅業界に?

齋藤:業界に入るきっかけになったのは、宅建資格です。県外で暮らしたいと両親に相談したところ、「宅建の国家資格を取れば家賃は出してやる」という提案があったので、猛勉強して。結果合格できたのと、不動産は儲かるイメージがあったので不動産業界に入りました。

LDP編集部:Uターン入社した転機はなんだったんですか?

齋藤:父が2007~8年ごろに病を患ったのが理由です。まだ50代半ばでしたが、急に後継者問題が浮上しました。うちは男3人兄弟で、私が次男。だれが跡継ぎになるかという話は親戚などからよく言われていましたが、実は父から聞いた事はありませんでした。むしろ、好きなように生きればいいよというスタンスだったと思います。
ただ、まだ引退するような歳でもないのに突然病を患いましたから、志半ばだったんでしょうね。父は威厳があるというか、決して弱みを見せるようなタイプではないんです。しかし「どうか継いでほしい」と頭を下げてきまして。私も非常に心を打たれ、「これは受け継がないと!」と決意しました。そうした経緯で島根に戻り、2010年に入社。2014年に社長に就任しました。

がむしゃらに働いた社長就任初年度。しかし結果は大赤字。

LDP編集部:当時はどんな課題がありましたか?

齋藤:たくさんありました。中でも大きかったのが、年齢差です。次期社長の私は20代前半でしたが、ほとんどの社員さんは50代半ば~60代半ばでしたので、ギャップを感じました。私自身が経験不足だった点も否めず、プレッシャーも感じましたね。
ただ、当初は父も現役でしたし、守ってもらえているうちに早く成長したい、認めてもらいたいという想いも強く、その気持ちがモチベーションになっていたと思います。

LDP編集部:ただ業績グラフを見ると、入社から社長就任後もしばらく厳しい状況が続いていたようですね。

齋藤:入社当初は経営的な話を父から一切聞いておらず、私自身興味もありませんでした。仕事がしばらくない期間もありましたが、「そういうものなんだろう」と、気にもしていませんでしたね。
でも、事務所に業者さんが来て経理の事務員さんが小切手を出していたり、支払いを伸ばしてもらったりという現実も目の当たりにし、徐々に不安も大きくなっていきました。キャッシュフロー的にもまったく優等生な会社ではなかったですね。

LDP編集部:特に社長就任の年はシビアですね。

齋藤:はい。私の中では仕事さえ取ればなんとか回ると思っており、利益は二の次だったからです。私自身は忙しく充実した日々で、達成感もあったんですけどね。
ところが、朝から晩まで働いていたのにもかかわらず、結果は創業以来最大の赤字。その時期は、無意識に「倒産」「破産」と名のつく本を手にとっていたりして、先が見えない状態でしたね…。
今振り返ると、当時は新築の注文住宅を中心に仕事をしていたのですが、注文住宅は打ち合わせなど非常に時間がかかるもの。年間数棟しか手掛けられないので実績としての認知度も低く、価格競争でしか他社と戦えない状況だったんです。その安売りが悪循環を招き、受注をしても儲からない状況にしていたことに気付きました。

LDP編集部:そんなに働いていたのに大赤字とは…辛いですね…。注文住宅市場にはそのような落とし穴もあるんですね。

打開策は“規格住宅”。年間棟数も徐々に上昇

齋藤:そこで、打開策として規格住宅を取り入れることにしました。効率的に利益を確保でき、価格競争以外で戦う方法を模索する中、県外の知り合いの業者さんを通じて紹介していただいたのが、とある規格住宅ブランドだったんです。
シンプルなデザインとローコストが特徴で、お客さまの反応も上々でしたでした。利益面でのメリットも大きく、受注増から社内の活気もよくなっていき「これならいける」と思いました。

LDP編集部:年間の建築棟数も、規格住宅を取り入れてから増えていますよね。

齋藤:感覚的には自然とですが、当社の商品力が上がったのは事実かもしれません。ただ年間8棟を建てたぐらいの時期から、「次は10棟を目指そうか」という目標も出て、月1棟を手掛けるようなイメージもできるようになりました。
規格住宅を導入してからも、注文住宅の受注数は変わらずだったので、理想的な形で棟数を増やすことができたと思います。

LDP編集部:そして2020年にDoliveを導入いただきました。決め手はどんなところでしたか?

齋藤:実は最初にハマったのは同じ会社にいる弟だったんです。デザインセンスに衝撃を受けて、これは導入すべきだと熱烈に言われまして。それで見てみたら、確かにカッコ良い。私も一目惚れして導入を決めました。

ただ、突然の導入だったのもあり、社員の期待値は高くありませんでした。でも、商品を前にしたら皆のテンションも上がってきて。売りたい!という気持ちが高まっていきました。

齋藤:それと、Doliveはカスタムの自由度が高いのも良かった。当時、お客様の住宅への要望が複雑になってきていたのもあり、ニーズに応えられるような商品があればと思っていたんです。
だから、Doliveを導入して、自社商品と組み合わせて提案できるようになったことで、お客様からもすごく喜んでいただけたんです。

お客様からの反応が良くなると、「いいものを売っている」という自信にも繋がってくるんです。不思議なことに、注文住宅だけやっていた頃と比べて、規格住宅を取り入れてからの方が、「本当にかっこいいと思うものを売る」という、なりたかった姿に近付いているんですよね。

チームの若返りで発信力アップ!SNSで集客したイベントには2日で300人が来場

LDP編集部:規格住宅の導入など、会社としては大きな変化が起きていたかと思いますが、経営的に一番の解決策となったのはどういった部分だったと思いますか?

齋藤:振り返ると、人だなと思います。棟数や売り上げの数字を見ると、経営手腕がよかったとか、規格住宅を入れたからとか思われがちかもしれませんが、私はそこまで戦略立てた経営をしているわけではありません。それよりも、チームワークを大切にしています。また、代替わりとなった結果、自然と私と同世代や年下がジョインするようになり若返りが起こったのも好機でしたね。施主さんと年齢も近く、そのほうが感性も近いですから。

齋藤:いまや20代のメンバーも3人入社しました。私自身も彼ら目線でのコミュニケーションをとるようにしており、2、3カ月に1度の頻度で個別面談をしています。頼りになる部分も多いですね。たとえば発信力。私は昔からSNSをするタイプではないのですが、彼らはInstagramやTikTokなどを駆使し、積極的に情報発信してくれますし。

LDP編集部:SNSによる情報発信は、住宅業界でもますます存在感を増していくと思います。

齋藤:そうですね。外部へのブランディングという意味では、2022年11月に初のモデルハウスとして、WTW HOUSE PROJECTを建てました。オープニングイベントでは事前にInstagramで告知していたのも功を奏し、なんと2日間で300人超の来場者を記録。商品力を実感するとともに、SNSの可能性や若手の頼もしさも感じましたね。

立て直しの秘訣は「自分に合ったリーダー哲学での経営」

LDP編集部:最後に、次世代社長として会社を立て直すことができた秘訣は、なんだと思われますか?

齋藤:私なりのやり方がうまくハマッたのがよかったんだと思います。先ほど申したチームワークといいますか、技術面は口出しせず、働きやすい環境をつくるまとめ役が私の仕事だと思っていますし、その点は父との違いかなと思います。

齋藤:もちろん、父の時代は父のやり方でよかったんですけど、経営手法については口を出さず、私のやりたいようにやらせてくれた点は感謝しています。ただ、共通点は自社に対する熱い想いと、人を大切にするところですかね。父はカリスマ的なリーダーシップを持って人を引っ張っていく経営者だったと思います。
私も社長就任当初は、カリスマ性のあるリーダー像が期待されてると思っていました。しかし、目指そうとしていた姿は本来の私ではないんです。その後2年ほど経って、父のようになるのは無理だし違うと吹っ切れまして、自分らしいスタイルでいこうと決めました。

自分でなんでもこなすのが父のスタイルだとしたら、私は、自分が不得意なことは人に任せてしまうスタイル。もちろん最終的な責任は私がとりますが、一歩引いたところで全体を見る、そういう立ち位置に徹しています。自分なりの経営方法と、規格住宅の導入。これが、会社の立て直しと、年間棟数を増やすことに繋がったのかなと思います。

ーー

一時は危機的状況だった会社を、自身のやり方で復活させた齋藤社長。注文住宅の実績はそのままに、規格住宅を上手く使いこなして年間棟数を伸ばしていきました。さらなる飛躍を目指す同社は、世代交代の好例として、ますます注目の存在です。

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